元東京都建設局長である石川栄耀による戦災復興都市計画に基づいて整備された、環状三号線の一部を成す幅員40mの道路である。隣接する前後の区間は未開通であり、春日通りと千川通りの間を結ぶこの延長460mの区間が孤立して整備されている状態が長年続いている。かつてこの地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、「播磨坂」と呼ばれるようになった。
現在では桜の名所の一つともなっている沿道の桜並木は、1960年に坂が舗装された際に当時の花を植える運動の一つとして桜の木約150本が植えられ、地元の人々の手によって育てられてきたものである。1995年には、中央分離帯が2mから10mに拡幅されて遊歩道として整備され、坂の上下でのゾーン分けによる景観の変化づけやせせらぎの整備、彫刻の配置などにより、地域の憩いの場としての空間形成が意図されている。