かつて立川駅北口一帯には航空基地があった。元々は1922年に陸軍航空部隊の基地が開設したものであるが、戦後にアメリカ空軍に接収され、1977年に全面返還が実現するまで航空基地として使用された。返還後の跡地活用の方向性を示すものとして、東京都は1982年に「多摩都心立川(T.T.T)計画」を公表。国の施設整備も併せて行われ、基地跡地には多様な施設が集積していった。具体的には、「緑の回復と人間性の向上」をテーマとして昭和天皇在位50周年記念事業の一環で整備された国営昭和記念公園、陸上自衛隊などが駐屯する立川広域防災基地、その他国の研究機関や独立行政法人、基地跡地の市街地再開発事業で整備された複合商業地区「ファーレ立川」である。各地区はペデストリアンデッキで駅改札のレベルから繋がっており、自動車動線と交わらずに移動が可能である。地区ごとに整備主体が異なるためエリアの一体感は乏しいものの、駅周辺に多様な機能が高密に集積したことで、利便性の高い駅勢圏を形成している。