1964年の東京オリンピック開催に伴い整備された総合運動公園であり、都市計画家、高山英華が全体計画を策定し、造園の横山光雄、土木計画の八十島義之助、建築の芦原義信、村田政真、都市計画の秀島乾といったメンバーが基本計画の研究会に参画した。公園敷地を二分する駒沢通りの上を歩行者や自転車が通行できるように繋げ、バスストップや駐車場のレベルを下げることで歩車分離を実現した。園内には様々な運動施設やランニングコースだけでなく、緑に包まれた休養地や児童公園などもあり、周辺住民が公園を活用する様々なシーンを目にすることができる。また2Fの中央広場に面した陸上競技場やオリンピック記念塔のシンボリックなデザインが印象的なランドスケープを形成している。