寛永寺寺領の一部であったが、1873年に太政官布達第16号により日本で最初の公園の1つとなった。明治期には、1877年の「第1回内国博覧会」の開催を皮切りに、様々な国家的行事の開催場所となったことから、近代的施設が多く建設され、その後こうした施設が博物館や美術館として使われるようになったことで、文化・芸術の中心地として発展することとなった。東京国立博物館から噴水、京成上野駅方面へ南北に延びる動線が公園の中心的な軸となっており、それに直交するJR上野駅から恩賜上野動物園正門へ延びる東西軸と合わせて公園の骨格が形成され、駅からの来訪者を引き込む。2008年に公表された上野公園グランドデザイン検討会報告書およびそれを受けて作成された2009年の上野恩賜公園再生基本計画では、その2つの軸に寛永寺と弁天堂を結ぶ軸を加えた3つの軸を中心に動線計画や景観計画、主要施設計画が整理され、広場やオープンカフェの整備が進められた。
088上野公園
緑 自然・環境 イメージ 1950年代以前
完成年 | : | 1873年 |
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所在地 | : | 東京都台東区上野公園 |
敷地面積 | : | 538,507m2 |
参考資料 | : | 上野公園グランドデザイン検討会「上野公園グランドデザイン検討会報告書」, 2008年 |
掲載雑誌 | : | - |