1870年に初めて外務省が今の霞ヶ関に立地した。その後、当時外務大臣であった井上馨を中心に「官庁集中計画」が提起され、当時工部省顧問であったジョサイア・コンドルやドイツ人技師ベックマンやエンデが計画を検討した。当初の計画では官庁のみならず練兵場や博覧会場を置く案もあったが、その後幾度かの変更が行われた後現在の霞が関官庁の骨格が作られた。昭和初期には関東大震災の復興と相まって、総理官邸・警視庁庁舎・内務省庁舎等が次々に建設された。近年では、地区内の最高高さを国会議事堂の中央塔以下とし、江戸城の石垣や旧文部科学省の一部保存によって、周辺地域との一体感を持った都市デザインが行われている。