055多摩ニュータウン

エリア 自然・環境 動線・ネットワーク 1960-70年代

多摩ニュータウンは、高度経済成長期の東京都市圏への人口一極集中による住宅不足が原因で生じたスプロール化を解消するために多摩丘陵に開発されたニュータウンで、その面積は2,884ヘクタールと日本最大規模である。1965年に新住宅市街地開発事業の都市計画決定がされたことを起点とし、その翌年に決定された8つの土地区画整理事業とともに基盤整備が進められた。前者は東京都、東京都住宅供給公社、都市機構によって行われ、後者は東京都、都市機構、組合により施行された。2004年に東京都による新住宅市街地開発事業が終了、2006年にUR都市機構による同事業が終了し、未開発用地が民間に売却されたため区域内に高層マンションが建設された。その結果、かつての中低層の住宅を中心とした街並みは変わりつつある。近年は住宅・インフラ等の老朽化や、初期入居地域での急速な高齢化への対策が課題であり、東京都は2018年に再生の指針である「多摩ニュータウン地域再生ガイドライン」を策定して、地域の更新に向けて動き始めている。

 

街の骨格
ニュータウン区域は、地形等の条件から一体的な開発が可能かつ、排水系統が多摩川水系単一になるエリアとして定められている。東西方向に流れる河川沿いに京王相模原線と小田急多摩線を通し、河川に並行して走る谷戸部や尾根沿いに3つの広域幹線道路を敷設している。これらをつなぐように南北方向に複数の住区幹線道路を配置して街の骨格を形成している。多摩センター駅を「都市センター」、若葉台・永山・堀之内・南大沢の各駅前を、より小規模の「地区センター」として位置付け、区域周辺を含めた広範囲のエリアに都市機能を提供している。

C・A・ペリーが提唱した近隣住区理論を基に区域内が21の住区に分かれていて、各住区には公園や日用品を扱う商店などの住民サービス施設を集めた「近隣センター」が徒歩圏内にある。各施設は団地内通路や歩行者専用道路で結ばれており、歩車分離が徹底されているため安全である。1971年に第一次入居が開始された諏訪・永山地区を皮切りに、各地区は地形や時代背景に応答しながら街づくりが進められたため、区域内に多様な景観が見られることが多摩ニュータウンの特徴と言える。

 

鶴牧地区のオープンスペース
その一例に、鶴巻地区が挙げられる。オイルショックにより東京への人口流入が落ち着き、住宅の量より質が重視されたことを背景に、1974年に開発者と多摩市の間で、住宅地内の緑を含めたオープンスペース全体を開発面積の30%以上確保する規定が定められた。開発初期に住区内に均等配置されたオープンスペースは住民に認知されにくかったため、鶴牧地区ではオープンスペースで街の骨格がデザインされている。具体的には、4つの近隣公園が環状に連続した基幹空間を設け、それらを補完する歩行者専用道路や街区公園をリング状にデザインし、「みち」のネットワークを構成している。この歩行者専用道路は多摩センター駅前のペデストリアンデッキへと繋がっており、車道との交差部分には全て歩道橋があるため、車道を一切横断することなく駅まで移動することができる。

 

多摩センター駅
1975年に開業した多摩センター駅は都市センターとして位置付けられ、ニュータウンにおける商業・娯楽の機能を果たしている。1986年に新住宅市街地開発法が改正されて、特定業務施設の導入が可能になったのを契機に1991年より駅周辺で業務オフィスの立地が進み、業務機能も持つようになった。駅前の空間は建築家の大髙正人による設計である。地上は自動車のための空間としてバスターミナルを整備し、ペデストリアンデッキで各施設を繋ぐことで歩車分離を実現している。駅の南口から真っ直ぐに延びるパルテノン大通りは駅前のシンボルストリートで、軸線の先に立地するパルテノン多摩(文化施設)に向けて上り勾配がついているのが特徴的だ。パルテノン大通りと直行するハローキティストリートとの交差部ではストリートパフォーマンスをはじめとした住民主体のイベントが開催されて賑わっている。軸線の中に人の流れと滞留がシームレスにデザインされ、多様な人を包み込むデッキである。

 

多摩ニュータウンは常に緑が近いだけでなく、歩いていると各住区の風景が次々と展開されてとても心地の良い空間であった。その一方で、緩急が激しい道が多いため、高齢者の交通弱者化が懸念される。次に訪れる時は、既存の歩行者専用空間を活かしつつ、いかに新しい交通ネットワークを作れるかを考えながら散策を楽しみたい。

完成年 1971年
所在地 東京都多摩市、八王子市、町田市、稲城市
敷地面積 2,884ha
計画・設計 都市再生機構、東京都、東京都住宅供給公社、土地区画整理組合
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