1887年(明治20年)東京府は、当時水運の大動脈であった隅田川の土砂堆積の問題に対処するため、隅田川の浚渫を開始した。現在の月島地区はその土砂を埋立造成することによって開発され、太平洋戦争の戦災を免れた下町情緒漂うエリアである。一方、リバーシティ21地区を中心とする都市再開発が行われたウォーターフロントでは、高層マンション群が立ち並び、快適で、質の高い都市型の生活を垣間見ることができる。月島は超高層マンションに代表される新しい街並みと、木造密集地域を代表する古い街並みが融合したエリアである。
月島を代表する風景である「月島西仲通り商店街」は、通称「もんじゃストリート」と呼ばれており、区画整理された路地には長屋が立ち並び、賑わい溢れる商店街は街の中心的役割を果たしてきた。特に、もんじゃストリートの路地などは子どもたちの遊び場としても親しまれ、もんじゃ焼きの原形である「文字焼き」を楽しく作り、食べていた姿が現在の呼び名に繋がっている。
現在も月島地区は人口増加傾向にあり、若年層にも好まれているため、東京都の中でも将来性の高いエリアだと考えられる。防災上の観点から古い街並みが問題視されることも多いが、新旧の街並みが共存する月島の将来像として、子どもたちが大規模に開発された公園や、空調設備の整った屋内施設だけでなく、路地や空き地、商店街を遊び場として利用する風景も期待したい。