1935年に東京都による埋立事業で生まれ、戦前には東京市庁舎や万国博覧会の候補地とされた。戦後の米軍による接収を経て晴海埠頭が整備され、国際見本市の会場や晴海団地として活用された。東京都が第一種市街地再開発事業として再開発し、2020年には東京オリンピックの選手村として活用された。その後、約18haの土地で官民協働のもとHARUMI FLAGとして5,632戸の分譲住宅・賃貸住宅と商業施設を含めた24棟を建設し、人口約12,000人が住む都内最大級のまちづくりの計画がなされている。
道路基盤整備を東京都が行い、住宅・商業施設整備は、民間資金で建物を建設する「特定建築者制度」が適用され、11社の民間事業者が行う。広大な敷地を一斉に開発するために、街全体のデザインを統括するマスターアーキテクト並びにデザインアーキテクトを設け、街全体のマスタープランを策定。11社におよぶ特定建築者と25名のデザイナーとともに2年半にわたって40回のデザインレビューを経て街づくりの指標となる「デザインガイドライン」が策定された。
開発全体は晴海ふ頭を縦断し、敷地の中央を走る「シンボルロード」を軸にダイナミックシンメトリー(非対称性シンメトリー)をベースとした躍動感のあるボリューム構成を図っている。
デザインリレー(対を作る街区や隣接する建物同士で色彩・文節構成などの共有するデザイン要素を定め連鎖させる)を取り入れ街全体の調和を図るとともに、海辺の街にふさわしい山なりのスカイラインを形成した。また、水素ステーション、ゆとりある自転車道を伴う中心道路、マルチモビリティステーション(BRTの停留所を含む交通広場)など次世代のまちづくりが展開される。
都心から湾岸エリアへと繋がる環状2号線が整備され、BRTの導入により「都心と湾岸の結節点となる、新たな東京の中心」として、虎ノ門、新橋、豊洲、有明などビジネス・スポーツ・グルメ・レジャーなどさまざまな個性をもった街をつなぐ役割を担う。
東京大会2020の記憶を継承しながら、その骨格の上に新たな生活の営みを丁寧に重ね合わせていく未来の世代へのまちづくりとなる。