隅田川六大橋とは関東大震災(1923年)の帝都復興事業の一部として、復興局により隅田川に架設された橋梁群の総称である。上流側より言問・駒形・蔵前・清州・永代・相生の六橋を指し、全て歩道付きの道路橋である。
江戸時代に架けられた永代橋は、江戸だけでなく深川という異界の地へつなぐ架け橋の役割を担っていた。一方で、明治政府は橋の整備に力を注いでいなかったため、関東大震災の被災者の避難に支障がでてしまい、災難を招いた。そこで、復興局土木部長の太田圓三と橋梁課長の田中豊を筆頭に、橋梁課の技術者たちが特に美観に意をはらって橋の設計施工にあたった。
当時は、日本の橋梁技術者が自ら設計する際にオリジナリティを求めはじめた時期であり、そのデザインは構造体そのものの内に美を求めようとする、きわめてモダンなものであった。115の橋が建設されたが、六大橋には特に力が注がれ、復興橋梁費の約三分の一が充てられた。中でも、復興局は永代橋と清州橋の二橋を特に重視しており、対のデザインがされている。
六大橋の最大の特徴は、すべて異なる型式が採用されていることである。橋梁型式の選定は地形、地質、環境の三点に留意して行われ、架橋地点の土地と地質の条件が多種多様であったことにより、それぞれのデザインが生まれた。
各橋の橋詰広場からは川べりの隅田川テラスにアクセスでき、橋の脚部を間近で見ることができる。水面を反射した柔らかい光が脚部にあたることで、鉄骨部材の繊細さが強調されている。また、橋上から隅田川を望むと、橋が連続している風景が広がり、高密な東京の都市空間と相まってより開放的に感じられる。